心海の岸に達せんと欲せば、船に棹さすに如かず。船筏の虚実を談ずべからず
答叡山澄法師求理趣釈経書/弘法大師
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします
今年は丙午(ひのえうま)、知る人にはザワつき感もあるようで。前回は出生数激減、八百屋お七自身もまさか未来の日本人まで呪縛するとは想定外かと(^^;
過度に脚色されたお七によって恐ろしさが独り歩きしてきた丙午のようですが、十干十二支という時間サイクルでみますとどういう傾向があるのでしょう?
「丙」は象形文字、柄が原義、芽が出て地に広がる意もあるようですが、調べてもなんだかよく分からない字の印象。ただ「陰気が陽気に迫る」意味があるようで。
「午」は杵の形も「人が陽気の上にあるを、下から陰気が突き上げる形」と私の蔵書にあり。十二支は時間方位にも配当され、午の刻は十一時から十三時。そう、毎日馴染んでいる正午/午前/午後の言いは「午の刻」が基準の言葉ですね。北極から南極を繋ぐ「子午線」も、北の【子】と南の【午】からきている言葉。
さて、特徴は双方【火の性】で【陰が陽に迫る/陰が突き上げて来る】こと。現状が陽気とすると、陰気に当たる新勢力の突き上げと見れますし、男に対する女の反発とも見れる。しかもそれは激しさを伴う。これが八百屋お七を極度に演出する背景なのはわかる気がしますね。
丙午は共に南の火性、時流の一極点。時流が旧態に引導を突きつける年。思い出してください。昨年迄の三年間は干支六十年の中で大転換期だと話しました。なぜか?
物事は極点に至ってしまっては「終わり」だから。変わるなら極点前こそがタイミング。
ですので時代の先見者たちは前年の乙巳にケリをつけに行き、翌丙午には陰気の突き上げ=台頭する新興勢力となって、新しい時代を切り開くことに成功したのです。
陰陽という言い方では「陰が負で、陽が正」のイメージですが、そうとは限りません。【陰とは弱、陽とは強】【陰は新興、陽は旧態】と考えると「陰が迫る」とは、家庭や仕事や人間関係など自身の立ち位置が「陰」か「陽」かで、それ毎に吉凶の向きは変わって来そう。
今、日の当たっている者が陽だとすると、今がイイのが「陽」、良くも悪しくもそれが凋落の際というのがこの年回り。逆に、日の目を見なかったが準備が出来た者にとっては、突き上げに追い風が吹きやすい、とも見ることが出来ますね。

では過去の丙午年には何があったのでしょうか~
(※法話では日本の歴史の具体例をご紹介、ここでは割愛)~と確かに新たな勢力が台頭し、それがその後のスタンダードに繋がっていますね。
丙午は、今までが良い者にとっては零落の危機、これまで日の目を見なかった者にとっては、打って出るに大好機やもしれません。ただ「陰」の負の意味も確かに存在するわけで、善くない者達が急激に跋扈する可能性も否定できませんし、AIの過激な進化の現状を惟んみますに、AIによって人類が凋落する転換年となる?ようでは由々しき事態です・・
ここに弘法大師の金言をご紹介しましょう。
【心海の岸に達せんと欲せば、船に棹(さお)さすに如かず。船筏(いかだ)の虚実を談ずべからず】
常に波打ち恐怖を感じる海、しかし新たな世界を得るには、船を漕ぎ出していく他はない。船に乗らぬ為の理屈をこねている場合ではない!!
※仏教では心の海を隔てて俗世を此岸、悟りを彼岸と言う。岸に達するとは、煩悩や障りによって常に荒立っている心海を越えて解脱の世界に辿り着く意。
【やらない為の言い訳探しなどするな!】
と、我々が往々にやってしまう逃げ口上へ、頂門の一針です・・何もせぬと「陰に迫られ欠け崩れてゆくのみ」が丙午。新たな海原へ漕ぎだした者だけが新たな風景を手にすることが出来るのです。

皆さんが祈りを託された本尊は「波切不動」です。言い訳じゃなく挑み動く所に不動尊は、心海の、世間の、荒波を切り裂き給うのです。その力を本年、信心の皆さんに揮い給うように年末年始祈り込めてきました。
貴方は丙午の氣に「追われる陽」となるのか「迫る陰」となるのか。御札御守りを手に、祈りと決断と行動を以ってこの干支の潮流をも味方に付ける立ち位置に居まして、激変する時代に沈没せぬ力を得る年とされますよう祈り、願います。
※上記は令和8年遍照院正三日法話の要略

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