真言をお唱えしていますが、何かこう、御札の拝み方ってあるのでしょうか?
とお尋ねがありました。常には、お水とご飯を供えて心経とご真言をお唱えしたら宜しいでしょうし、余裕があるなら仏前勤行式から部分を適宜用いても良いでしょう。
とお答えしましたが、この問いは要するに「どうすればもっと祈りが通じやすくなるのか?」というのが真意でしょうね(^^;
そこでお教えしたのは以下の方法。
①ご自身がお唱えする真言が、御札に吸い込まれていくような想いでお唱えする。
②お唱えした真言が、今度は御札から放出されて、自身の頭頂とか胸から体内に入って来る想いを為す
御札と自身の間を「真言」が循環するようなイメージですね。↓画に描いてみました~

本当は、真言も「梵字」で想えればいいのですが、真言自体が本来「授かるべきもの」に加えて梵字は在家にはハードルが高いでしょうから「ひらがな」で想ってもらって構いません。
御札から還って来る真言も「ひらがな」でOKです。または御札に書かれている「梵字」が連なって来る、と想うも良いでしょう。
ツルツルとスラスラ流れていくイメージで【ただ、真言を循環させるだけ】の無心でお唱えする。言うなれば【ご本尊と、感謝と他愛もない会話を楽しむ】かのような感覚で。
そして念誦が終わったら、最後に願いを祈る。願いは終わりの一か所だけにする、のがポイント。
困ったり苦しかったりしますと、祈りもその事ばかりになってしまう、のも分からないわけではありません。ですが始終、願いばかりではそれは祈りに非ず、【執着】に他ならない。仏を祈るに仏がソッポ向くマネをしているに等しい。
考えてみてください。一方的に自分の事ばかり喋る人と仲良くなりたいと思いますか?押しつけがましい人を手助けしてあげたいと思いますか?・・他人からされると嫌だな~ウザいな~と思う態度、神仏の受け取りとて同じこと。だから常々お話していますね【仏前は、その人の本性が現れる場所だ】と。
余計な思いを交えない、のは肝心です。真言の遍数は数を取る場合には、3,7,21、108回と一応の目安はありますが、本当はその数を意識することも障礙になる。ので、念珠を用いるのです。数珠は飾りじゃなく、祈りを実とする人には必携用具ですね。
専門的な祈り方からの見地から、「在家の一寸踏み込んだ祈り方」を提示してみました。尋ねもしない人に公に聞かせる話では無いかも、ですが、仏心に適うような祈りをされる方々が増えれば、それもまたお尋ねされた方の功徳になろうかと(^^


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