きょうよう&きょういく⁉

yoshiki還暦でこの若々しさよ 法話

これはウマい話だなァ~と感服したのは、武田鉄矢氏(俳優)のラジオ。

それは四国?で武田氏がお寺さんに招かれた講演でのお坊さんの話。

老いるほどに、人にはキョウヨウキョウイクが必要なんです。

といっても勉強の話じゃないですよ。

キョウヨウとは「今日、用事がある」、キョウイクは「今日、行くところがある

毎日やる事がある、出かける用事がある。これこそは老いてなお健康に生きるのに大事なこと。面倒だ~じゃなく毎日やる事をつくるのが、若々しくいられるコツですよ。

と(うろ覚えですが)こんな感じの話に、武田氏もいたく感服したと。

いわゆる教養&教育も、自身の知見と悦楽の幅を広げるには欠かせないものですが、退職や隠居で為すべきことが無くなった生活状況の多くを見聞きしますに、考えることがない/感じることもない/動くことすらしない、と人の心身は忽ちにガタガタと弱ってしまう、のはリアルに深刻な事態のよう・・

(※ついでに、以前も紹介しましたが幕末の儒学総帥佐藤一斎の言『壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず』は有名ですね)

老後の心身の健康を保つには【日々やらなきゃいけない事がある】のは切に大事なこと!と多分に見せられ痛感し、他人事じゃないよな~と想うのです。

仕事人

それを想うと、一生かけて追い続けるモノがある/夢中になれるものがある、は、もとより、いつまでも借金苦が/子供の苦が/死ぬまで働かなきゃいけない苦が/隠居できない経営苦も、人がただの動物じゃなく「人間たる生き様を生きる」、寿命が来るまでの時間潰しじゃなくどんな形だろうと満ちている、という点では、人としてある意味幸せなことなのかも、ですね(^^;

老いたらゆっくり、などとは無縁な人生を送った人の事例に弘法大師がおられます。

大師は高野山に隠居の願いを提出したものの朝廷に許されず、やっと入定の2年半前から高野山で穀断ち(米や穀類を食さない、肉魚は言うまでもなく)しながら瞑想三昧を続けて入定に至った、とされていますが、実際は高野山に籠っていられぬ南船北馬な活動をしていました。

ここに至るまでの弟子の育成と書物の著作に加えて、自身滅後の寺々への采配、朝廷へ宗門や寺院の認定や保護の要請、高野山の造営、宮中で新年祈祷(金光明会)、東大寺でも著作講義、比叡山西塔院落慶法要に招かれて呪願師を勤め(※最澄伝教大師との決別ばかりがネタになりますが、その後も大師は叡山衆徒からの伝法要請も受諾しておりこの件といい、比叡山との関係は続いていたようです)、後七日御修法を国家行事に認定させetc。

修行大師像
修行大師像(納経軸より)

大師は伝説に彩られる人であるものの、伝説を除いてその史実だけを見るに、さすが伝説化されるだけはあるわ~;な超人ぶりが窺えますが、晩年しかも穀立ち=肉魚はもとより飯系を食わない半断食な身体!で、南海電鉄も高野山道路もない標高800mの高野山上から、京都や奈良や比叡山まで幾度も往来し国家/宗団/後継の為に東奔西走していた、という事実(◎o◎;)  正に事実は小説よりも奇なり。

真言観法で鍛え上げたゆるぎなき精神は察すれども、どれほど強靭な肉体でもあったのか、そして大師を入定の際まで奔走させるに至った、生あるうちに成し遂げねばとの大悲願は如何ばかりであったのか・・

いや、逆にその【何としてもやり遂げねばならぬ!】大師の悲願が、座して瞑想するだけで精一杯なはずの瘦せこけた肉体をして、常人にはあり得ない活動をさせたのかもしれません。※入定年の正月には一切の食を断ち、心配して食を進める弟子に「もう人間の食い物は要らない」と述べている

大師のような心身の澄定も、鋼の肉体も、天下を包み込む大悲願も、我ら凡夫には雲の上のような次元( ;∀;) ですが、【やるべき事がある!】と常に頭を回転させ、他人に関わり、動き回り、食を節制する者が、如何に満ち満ちた晩年であったかの好例、とは思えますね。

弘法大師

寿命とは異なる「健康寿命」という指標があります。健康上の問題で日常生活が障りなく過ごせる年齢、とのこと。人は誰でも老いて病んで死ぬのは免れませんが、することなくただ寿命待ちな生き様は、老いや病を待たずとも健康寿命の「意義」的には寿命オーバーと同義でしょう。

そういえばXJAPANのYOSHIKIは「新しい人生、第一章はこれから。すごい長い序章だったんですけど」とこの4月からのスケジュールを発表したが、彼は(年齢非公表ですが、実は)還暦。世界中をハイパフォーマンスで疾走し続けなのに今までを序章と言い切り、これからが本番という。目指す所もやることもあり続ける人は、35年も以前から見ていますが変わらない、ホントに若々しい。※美容も相当やってるでしょうけれども(^^;

週末だのGWだの連休にどこにも行かなかった;などどうでもイイ。毎日にやること、考えること、外に出る、他人と係わる、そして人目を意識する環境を、ムリヤリでも予定に組み込んでみませんか><ノ 大師への健勝たる身心のあやかりも実になりやすいこと、きっと請け合いです。かく言う私も、書きながら他人事じゃないわ笑

※26年3月遍照院ご縁日の法話の加筆

ちなみに明日5月7日は旧3月21日の旧正御影供、高野山では伽藍御影堂をメインに法会が行われます。

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